「人と思想」シリーズ

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シェイクスピアってどんな人?

シェイクスピアほどよく知られた劇作家はいないのではないでしょうか。もし名前は知らなくとも、『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』は聞いたことがあると思います。

ただ、どんな人物だったかと問われると、せいぜいイギリスの人とか、肖像画を見たことがある、程度で、なかなか具体的には答えられないことでしょう。

実は、シェイクスピアは、数多くの現代でもよく知られた作品を残したにも関わらず、日記も手紙も残っておらず、謎の多い人物です。そのため、シェイクスピアは実在の人物ではなく、同時代の哲学者フランシス=ベーコンが正体ではないか、のような説が唱えられたりしました。

 

「人と思想」は、世界の思想家の生涯と思想を、時代背景や本人にまつわるエピソードを交えながら、分かりやすく解説した思想の入門書です。このシリーズの『シェイクスピア』を参考に、Q&A形式で人物像を探ってみましょう。

 

 

Q.シェイクスピアは何をした人ですか?


ウィリアム=シェイクスピアは、今から400年以上も前にイギリスにいた劇作家です。『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リア王』など、現代でも世界各地で盛んに上演されている多くの作品を残しました。その作品には、多種多様な人物が登場し、数々の名セリフと共に、活き活きと描き出されています。

 

 

Q.シェイクスピアが活躍したのはどんな時代ですか?


シェイクスピアは、1564年にイギリス中央部のストラットフォードに生まれ、1616年に52歳の生涯を閉じました。この時期のほとんどは、イングランド王国のエリザベス女王の治世に当っています。社会的には、ルターの宗教改革による大変動が一応終息し、王国は安定にたどり着きました。同時に、ヨーロッパ全体が中世から近代へと移行しようという時期でした。

 

 

Q.家族はいたのですか?


シェイクスピアの父、ジョン=シェイクスピアは、革手袋を製造する店を営んでいました。商売に成功すると、町の政治にも関わるようになり、最後には町長にまでなりました。その父ジョンと、母メアリーの第三子で長男としてウィリアム=シェイクスピアは生まれました。兄弟姉妹は8人いましたが、半数は若くして亡くなっています。シェイクスピアについて残された少ない記録には、妹のジョウンがよく登場します。仲の良い兄妹だったようです。

シェイクスピアは、18歳でアン=ハサウェイと結婚し、翌年には長女スザンナ、2年後には男女の双子ハムネットとジュディスが生まれました。

 

 

Q.どんな子供時代を過ごしたのですか?


シェイクスピアが育ったストラットフォードは、エイヴォン川のほとりに開けた豊かな農業地域の中心地でした。エイヴォン川の北西には緑豊かな森林地帯が広がり、鹿やウサギの棲み家となっていました。夏には野の花が咲き乱れ、小鳥がさえずる美しい森だったそうです。シェイクスピアはその森でよく遊んだらしい。この体験が、ロンドンに住みながらも、シェイクスピアが田園詩人であり続けた理由でしょう。

 

少年シェイクスピアは、町の文法学校で教育を受けたと思われます。文法学校の教育は厳しく、朝の6、7時の祈祷からはじまり、途中わずかの休息を挟みながら、夕方5、6時まで授業が続きました。ラテン語の文法にはじまり、読解、作文などの訓練がなされ、シェイクスピアは文章創作の基礎をここで身につけたことでしょう。教科書には、ギリシャ・ローマの作家の作品が用いられ、ラテン語だけでなくギリシャ語にも及ぶ高度な教育でした。

 

 

Q.どのようにして劇作家になったのですか?


町長まで務めていた父は、商売に失敗し、政治からも遠ざかります。シェクスピア家は困窮してしまいます。その後も、シェイクスピアは文法学校で学び続けたのではないかと思われますが、詳しくは分かっていません。分かっているのは、18歳のときにはストラットフォードにいて結婚したということです。3人の子が生まれた後、1585年のどこかで、ロンドンの新しい世界に目を向けることになります。

 

アンとの結婚から、ロンドンに出て最初の数年の間、シェイクスピアに関する記録がまるで残っておらず、「失われた年月」と呼ばれる記録上の空白期になっています。1592年に、他の作家がシェイクスピアのことを「俳優にして劇作家」と言及していることから、どこかの一座に、俳優兼劇作家あるいはそのどちらかとして雇われていたのではないでしょうか。

 

1592年に、演劇界の先人で大学出の劇作家ロバート・グリーンに、「成り上がり者の烏」と罵倒を浴びせかけられたシェイクスピア。すでにこの頃には自分の作品をいくつか制作し、大衆の人気を得ていたのではないかと思われます。グリーンら大学出の作家にすれば、学問も家柄もなく、大衆の心を掴んでいるシェクスピアを苦々しく思っていたのでしょう。

 

こうしてシェイクスピアはロンドン演劇界に登場しました。

 

 

Q.主な作品について教えてください。


1594年〜1596年頃に制作された『ロミオとジュリエット』は世界各国でももっとも人気が高い作品の1つです。同時期には、『ヴェニスの商人』や『夏の夜の夢』も制作されました。

 

グローブ座の完成後、古代ローマのシーザー暗殺とその後の政権抗争をテーマにした『ジュリアス=シーザー』を制作し、1601年頃からは連続して悲劇の制作を行います。四大悲劇と呼ばれる『ハムレット』、『オセロ』、『リア王』、『マクベス』です。特に『ハムレット』は、シェイクスピア作品の中でもっとも人気が高いと言っても過言はないでしょう。

 

 

シェイクスピアについて、もっと詳しく知りたい方は、ぜひ、人と思想シリーズ『シェイクスピア』を手にとってみてください。

シェイクスピア_表紙

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シェイクスピア_表紙

シェイクスピア_肖像

 

「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リア王」など数え切れないほどの名作を生み出したシェイクスピア。400年前のイギリスの偉大な劇作家とは思えないほど、私たちに身近な存在です。今日もどこかで舞台を観て、あるいは本を手にとって、その世界に魅了されている人も多いことでしょう。

一方で、その生涯については、ほとんど知られていません。生活の様子の記録が極めて少なく、日記も手紙も残されていないそうです。本書は、そのような困難な状況の中で書かれたシェイクスピアの入門書です。代表的な作品を紹介しながら、その時代背景やシェイクスピアの置かれた状況を踏まえて、分かりやすく解説しています。読み進めるにつれ、シェイクスピア作品を舞台で観たい、読んでみたい、という気持ちが高まってくることでしょう。

 

目次

シェイクスピア_目次

 

 

Ⅰ 新世界へ向けて

生まれと育ちと時代

シェイクスピア_p10-11

ウィリアム=シェイクスピアは、1564年、父ジョン=シェイクスピア、母メアリーの第三子で長男として、イギリス中央部のストラットフォードで生まれました。誕生日は、4月23日だったらしい。「らしい」というのは、はっきり分からないけれども、幾つかの理由によって一応この日に決められたとのこと。ちなみに、亡くなったのも4月23日です。

 

シェイクスピア_p14-15

父は、手袋製造業の店を営み、商売に成功すると町の政治に参加するようになり、町議会議員、収入役などの要職を次々と務め、最後には町長にまでなりました。

 

シェイクスピア_p20-21

少年シェイクスピアは、町の文法学校で教育を受けたらしい。これも記録が残っている訳ではないですが。よくシェイクスピアは無教育と言われますが、実際は、ラテン語を中心に、ローマ・ギリシャ作家の作品を教科書とした高度な文学的教育を受けていたのではないかと想像されます。

 

Ⅱ 劇作家への道のり

情熱と挑戦の習作期

シェイクスピア_p52-53

「この時期に彼が書いた作品群は、『ヘンリー六世』の三部作、『ヴェローナの二紳士』、『間違いつづき』、『じゃじゃ馬馴らし』、『リチャード三世』、『タイタス=アンドロニカス』、『恋の骨折損』。そして物語詩の『ヴィーナスとアドニス』と『ルクリース凌辱』である。シェイクスピアは30歳。ほぼ10年の時間で新進劇作家として名声を博すまでになっていた。」

 

飛躍から安定へ

シェイクスピア_p92-93

シェイクスピアが活躍した時代は、エリザベス女王(一世)の治世にあたります。女王の政治力のもと、当時のイングランド王国は大きな発展を遂げました。演劇好きだった女王の保護のもと、ペスト流行による劇場閉鎖などの苦難を乗り越えながら、イギリス演劇界も大きく成長しました。
1594年、シェクスピアは、宮内大臣がパトロンとなった宮内大臣一座に、俳優、劇作家、劇場経営者として関わることになりました。この時期、『ロミオとジュリエット』、『夏の夜の夢』、『ヴェニスの商人』など、いずれも観客の琴線に触れる作品を次々と制作しています。

 

Ⅲ 広大無辺の宇宙へ

新しい劇場、新しい活動

シェイクスピア_p112-113

1596年〜1599年にかけて、『ヘンリー四世』の第一部・第二部と、『ヘンリー五世』を制作します。この中には、シェイクスピア中期作品の傑作登場人物の1人、「フォルスタッフ」が登場します。

 

シェイクスピア_p124-125

1599年の秋には、かの「グローブ座」が完成します。

 

深まりいく人生

シェイクスピア_p152-153

「悲劇『ハムレット』が書かれたのは、1601年頃であった。この頃からシェイクスピアは、連続して悲劇の制作に取り組んでいる。その冒頭の作品が、理想主義的な青年を主人公にした、この作品である。」

 

シェイクスピア_p188-189

『あらし(テンペスト)』は、シェイクスピア最後の単独制作作品になりました。
1613年頃、若手の有望劇作家、ジョン=フレッチャーと共作した『二人の血縁の貴公子』、『ヘンリー八世』がシェイクスピア最後の作品となりました。

 

<内容と構成>

はじめに

Ⅰ 新世界へ向けて

生まれと育ちと時代

 

Ⅱ 劇作家への道のり

情熱と挑戦の習作期
飛躍から安定へ

 

Ⅲ 広大無辺の宇宙へ

新しい劇場、新しい活動
深まりいく人生
あとがき

 

年譜

参考文献

さくいん

 

 

<書籍購入>

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