「人と思想」シリーズ

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人と思想34『サルトル』のまえがき+αを読んでみる

 

サルトルと私

 

サルトルにひかれた理由

私がサルトルの思想に親しむようになったことの理由は、大別すると二つあるように思われる。その一つは、サルトルが現代二〇世紀に生きる思想家であり、このわれわれの生きている時代をよく哲学的に表現することができたからである。もう一つの理由は、サルトルばかりでなく、ボーヴォワールをもふくめて、かれらの哲学者として、また芸術家としての生き方の姿勢、むしろ彼らの人間的個性に共感するところが多くあったからである。

 

哲学は時代の子

ヘーゲルは、その『法哲学』のなかで、「もともと各人は時代の子である。哲学もまたそうであって、思想のうちに把握されたその時代なのである」といっている。サルトルもサルトルの哲学も、やはりその意味で「時代の子」なのである。私個人も広い意味でサルトルと同時代人であり、同じ時代の関心に生きているのである。では、サルトルが把握した現代とはどのようなものでありまた、どのような意味でサルトルの哲学と文学は時代のよき概念的把握でありえたのであろうか。

 

サルトルが生まれた時代

サルトルが生まれたのは、一九〇五年六月二一日である。つまり、二〇世紀のほぼ初頭にこの世に現れたのである。この時代とは一八七〇年頃から徐々に進行しはじめた資本主義の独占化が軌道にのり、いわゆる「帝国主義」の段階がはじまる時期なのである。資本主義による組織的収奪が軌道にのりはじめたといってもよい。この時代は、一方ではマルクス・エンゲルスの思想を受けついだレーニンの思想がその力を発揮しはじめた時代であった。

 

しかし他方では社会や組織に絶望した知識人が、「この世の外ならどこへでも」(ボードレール)という形で、社会から逃避・離脱して消費的享楽的な個人主義へと敗退して行く、こういった二つの風潮の交錯(こうさく)した時代なのであった。この社会から離脱した個人は、「呪(のろ)われた詩人たち」とよばれ、いわゆる「世紀末」のデカダンス芸術を、あたかも夕映(ば)えのようにかざっていたのである。

 

マルクス主義か実存主義か

しかし、一夜があけて世紀が変わると、世界では暗黙のうちに戦争への不吉な準備がすすめられ、享楽的な風潮にも一抹(いちまつ)の無気味さが加えられるにいたるのである。文明の名において先進資本主義国が、植民地への野蛮な収奪を行なう「ボーア戦争」の史実から霊感を受けて、ロマン=ロランが戯曲『時は来らん』を書き、時代への抗議の声をあげたのは、一九〇二年であった。サルトルが生まれたのは、ちょうどこういった時期、つまり組織対組織の収奪や階級闘争の激化の段階がはじまりかけた時期であり、また同時に、資本主義社会に寄生しつつも、これを呪い、これから逃避するといった「呪われた詩人」、この社会の私生児が、その生活を円熟させきった時期でもあったのである。
社会の発展を必然性で描くマルクス主義と個人をその個別性で把握する実存主義とが、時代を大きくひきさいていったのである。

 

生まれながらの実存主義者

サルトルの出生の個人的情況は、実存主義者サルトルを形成するのに、まったくあつらえむきの条件をそろえていた。サルトルは早く父を失い、祖父の家に母とともにひきとられる。サルトルは家族全員の寵愛(ちょうあい)を受けるが、ちょっと調子にのってはしゃぐと、母が「静かになさい、ここは私たちの家ではないのですから」といってたしなめるのである。サルトルは、たしかに家族には属してはいたが、いつもよそ者であり、よけい者であると感じていた。この姿勢は、ブルジョア社会に寄生する「呪われた詩人」の姿勢にまったく等しいのである。つまり、サルトルは、一九世紀のブルジョア文化の成果を自らの出生の条件とするという不思議な宿命のなかに投げ入れられていたのである。

 

個人から集団へ

ところが、成人するにつれてサルトルは変貌する。サルトルの(いままでの)全生涯はこの呪われた個人から出発しつつ、この個人がどうして組織や社会と一体化しうるか、その方法や理念をおいつめる一生であったと思う。これが、実存主義者サルトルのマルクス主義への接近という形をとるのである。もちろんサルトルの組織論や革命観には批判すべき点は多い。けれども、個人から出発しつつも、これを組織の時代、階級闘争の時代といわれる現代に迫ろうとするその方向において、サルトルの哲学が現代の哲学であり、時代の哲学でありうる理由があるのである。

 

二〇世紀後半の現代は、ますます組織の時代、階級闘争の時代でありつづけると同時に個人の問題への正しい解答が要求されている時代でもあると思う。組織の問題と個人の問題との正しく統一ある解答を提出することのできる哲学が、現代を導く哲学となることができるのではないかと思う。その意味でサルトルの哲学は、現代社会が投じた設問への解答の一つとしてある重要な地位をしめるものであると思う。その意味でサルトルの哲学は、現代社会が投じた設問への解答の一つとしてある重要な地位をしめるものであると思う。しかし、サルトルの見解が果たして真に正当な解決のすべてをいいつくしているか否か、これは大いに検討してみる必要がある。ともあれ、ここでは、まず、よくサルトルの哲学をみつめ、これを理解し、そのうえに立ってこれを評価し、批判していくことがたいせつであろう。

 

たぐいまれな率直さ

つづいて、私がサルトル、ボーヴォワールに共感する第二の理由、彼らの人間的個性について。まず第一にあげたく思う点は、彼らの個人的態度がしめす、たぐいまれな自己欺瞞(ぎまん)のない率直さである。ボーヴォワールは、彼女の自伝『或(あ)る戦後』のなかで「私がずっとたいせつに守ろうとしてきた美点の一つをたいていの人は認めてくれた。それは、自慢からも自虐(じぎゃく)からも程遠い率直さである。私は三〇年以上も前から、サルトルとの会話でその修練を積んできた」とのべている。世は自己PRの時代、宣伝しなければそんだと考え、いつしか嘘(うそ)までほんとうだと自分自身が信じこんでしまうような時代。何々のためという大義名分で自分を正当化して、自分で自分を聖者に仕立ててしまう。反面「謙虚(けんきょ)な人だ」と世の人が評価するような人物は、意外に卑屈(ひくつ)でうらみっぽく、神がかっているものである。しかし、サルトル、ボーヴォワールは、これらの自己欺瞞や卑屈さから遠い。彼らは聖者でも英雄でも偉人でもない。彼らはただあるがままの人間として、精いっぱいの姿勢で生きていく。

 

なれなれしさ

幼い頃からサルトルは古今の名作とよばれる作品を親しむ。そんな関係もあって、サルトルには「歴史上の偉人たちを学友たちのように扱い、ボードレールやフローベルに関して、歯に衣(きぬ)着せずに意見をのべる」といった「なれなれしさ」の態度が残っている。私は研究者の態度として、こういった「なれなれしさ」が好きである。わが国では、たとえば演奏者が作曲家に対して、研究者が思想家に対して不必要に卑屈ではないだろうか。謙虚にふるまったからといってわかりが早くなるわけではない。友人のような忌憚(きたん)のない意見交換のほうが先決である。私個人に関していうならば、サルトルを尊敬すべき大思想家としてではなく、何か私のライバルのような気持で意識していた。先日、私はサルトルに関する小さな研究書を出版したが、その時、ある友人に、「サルトルが『存在と無』を書いたと同じ年頃に、俺はそれの解説を書くんだからちょっとできがちがうな」といったら、その友人は笑って「だいぶちがうんじゃないかね」といった。しかし、すぐ私をなぐさめるような調子で「だが、とにかく、お前とサルトルとはライバルのようなものだったからな」といってまた笑った。私はこれでいいのだと思う。どちらが偉人で能力があるかないか、それは二の次で、まず「なれなれしく」対決すべきではないだろうか。

 

愛情に神話はいらない

ゲーテは『ファウスト』のなかで「およそ生活でも、自由でも、日々これをかち得て、はじめてこれを享受(きょうじゅ)する権利を生ずる」といっている。ボーヴォワールは彼女の恋愛論のなかで、「永遠の愛」といった、一度獲得すれば、あとはそれに頼っていればよいといった姿勢を、きっぱりとしりぞける。ボーヴォワールは、何か神がかった「愛の神話」などをきっぱりとしりぞけるのである。人間の愛情はたえまなく新しく創造しつづけられなければならない。この創造的情熱どうしの日々新たに獲得される結合にこそ真の愛情がある。彼らは神がかった宗教的な真実さよりも、不断の創造をこととする芸術的情熱のほうを重んずるのである。

 

同じくゲーテの詩に「新しい恋、新しい生命」という一節があるが、サルトルとボーヴォワールは、まったくこの「新しい生命」をともに生きついできたのである。もちろん、ボーヴォワールの愛情論には、結婚という形の情熱のあり方についての論述が乏しい。何か愛情論を恋愛論に解消する傾向がないわけではない。しかし、神秘化された愛情の欺瞞を拒否する彼女の姿勢に共感すべき点が多い。

 

サロン哲学者

サルトルは彼の原稿をサロンやレストランの片隅(すみ)で書くことがある。だから、彼のことをサロン哲学者だといって悪口をいう者がいる。劇作家として一流で哲学者として二流だとか、ほめたりくさしたりするような批評もある。大変おもしろい批評だが、とにかく、古代から哲学者には、ソクラテスやデオゲネスのように巷(ちまた)で哲理を説く哲学者と学校の机の上でだけ哲学を説く哲学者との二つのタイプがあった。どちらが一流でどちらが二流かは知らないが、サルトルははっきりサロンのなかばかりでなく、場合によってはトイレのなかにまで哲学をもちこむ種族に組みしている。アカデミックな哲学に私生活のすべてまで注ぎこむという意味で哲学に忠実な人種と、生活のどの隅にまでも哲学をもちこんできて、その意味でいたるところ哲学でいっぱいといったタイプとでは正反対である。どちらを選ぶかは個人の好みかも知れないが、私はサルトルの態度のほうが好きである。

 

とらわれの身

サルトルには実にたくさんの顔がある。哲学者としてばかりでなく文学者としての活動も多様である。現代の若い諸君が、いったい、サルトルのどんな側面に共感を感ずるのか、私には大変興味深いことがらである。私自身、最初にサルトルにふれたのは、心ならずも大学受験にとじこめられていた頃、短篇『壁』を読んだのがそもそものはじまりである。同時にロマン=ロランの『内面の旅路』の一節「私はとらわれの身だ」という箇所を発見し、「胡桃(くるみ)の殻(から)にとじこめられたまま自分を無限の空間の王として見出すことができたらいい!」という若きロランの観念的な祈願に共感していた。ところがサルトルの主人公は、自分をとらえた牢獄のなかから、ほんの偶然のチャンスで脱出する。脱出に成功した主人公は「涙が出るほど笑って笑って笑いこける」のである。これはちょうど、入りたいとねがってはいても受験もしていない大学から、何かのまちがいで合格通知がまいこむようなものである。私は「存在は偶然である」という趣旨のこの小説を読んで「ふん」といった感じであった。

 

選ぶ前の待機

やがて、大学の教養部の時代、『実存主義はヒューマニズムなり』を読んで、「人間は、最初は何者でもない。人間はあとになってから人間になるのであり、人間は自らがつくったところのものになる」という一節を発見した。教養部にいて、どの学部のどの学科を選ぶか漠然と考えごとをしていた私は、この一節がよくわかるような気持がした。私には専門も決まっていず、したがって専門的能力も知識もなく、もちろん地位も財産も職もない。つまり「何者でもない」と思った。そして、何になるか、これから自分で選択し、自分の何者かをつくって行かなければならない。いまは、何者でもなく、自分を「待機」させている。夏目漱石の「三四郎」も、自分を「待機」させ、うろうろしながら学生時代を終わるのである。私は一方ではこの「待機」を楽しみ、他方ではあせりにあせりながら青春の何ヵ年を送るのである。

 

人間の弱さと強さ

私が学部に進んだ頃、レッドパージの嵐が吹き、朝鮮戦争の暗雲が目先を暗黒にぬりつぶしていた。サルトルの『文学とは何か』のなかで「束縛(そくばく)の文学」という言葉を知り、「私は拷問(ごうもん)に耐えられるだろうか、と考えずに眠りにつくことのなかった世代に属する」という発言に共感した。学生運動の経験のなかで(当時はつよがりをいっていたが)とてもおそろしいと感ずることがないわけではなかった。ベテランの活動家からは、小林多喜二の時代はこんなものではなかった、といわれ劣等感をとぎすまされた。そんな時、サルトルの文学の人物は、ある時は英雄的に、ある時は率直に「駄目(だめ)な男」の役を演じているのをみて、人間とはそのいずれの面も真実なのではないかと思った。生まれながらの英雄などいるものではない、「駄目な男」が英雄にもなり、英雄もきっと時々は「駄目な男」なのだ。そのどちらを選ぶかは、その人の自由によっている、というサルトルの考えには一概に賛成はできず、その人をつくる思想の内容を無視して、単に自由な決断といっても抽象的だとは思ったが、「駄目な男」の率直さが好きであった。要は、強さ弱さをもふくめて、ありのままの人間から出発しながら、その人間的弱さの一つ一つを克服することのなかに人間性の勝利があるのではないだろうか。私はロマン=ロランの『ジャン=クリストフ』のなかで「悩み、戦い、やがては勝利する魂」の姿勢について学び、マルクスから、現代人が、どうしたなら歴史のなかで価値ある存在となることができるのか、という点について学んだ。サルトルからはありのままの人間をありのままの目でみつめる態度、誰もみていなくても自分にだけは嘘をつかない態度少なくとも自分で自分に恥じるような態度だけはとりたくない――つまり自分自身にたいするプライドのようなものについて学んだ。

 

年をとったライバル

このようにして、折にふれサルトルに接触しながら私の青春時代はすぎていった。哲学を専業とするようになってからは、ヘーゲルとマルクスとサルトルの三つの柱が私の思索の中心をなすようになっていた。サルトルの思想は現代二〇世紀の現況を鋭くつくものとして、たえず私の関心の的であった。もちろん、サルトル自身の個人観や社会観と私自身のそれとがまったく同一のものではありえず、むしろ、正反対の場合もないわけではなかった。しかし、たとえその解答の結果において正反対であっても、問いかける問題意識において、私はサルトルとふれ合うものを多く感じていた。だから、その結論がくいちがったり、反対であればあるほど、私はサルトルをいっそう強く意識した。私がサルトルを私個人にとって対決すべき相手、つまりライバルだと感じたのはこういった次第によってなのである。とはいっても、サルトルは私より二〇歳か年上の兄貴分であり、私がこの兄貴分を知った時、彼はすでに壮年であった。その後一〇年、二〇年と年月がすぎたが、私は心のなかでは、いつまでもサルトルは壮年のままだと思いこんでいた。先日訪日したサルトルが、すでに六〇歳をこえたということをあらためて意識して、私は自分の年齢を思わず数えなおした。いつまでも若いと思いこんでいたボーヴォワールも、目下、人間の「老い」という現象の研究に打ちこみこれを完成させたという。このサルトルの思想が、私よりすでに一世代あるいは二世代も若い諸君のどんな共感をそそるのか、今度は私のほうから問いかけたい気持でいっぱいである。そんな意味もあって私個人のサルトル体験の一端にもふれてみたのである。

 

本書のねらい

最後に本書のねらいについてふれておこう。一口にサルトルの思想と生涯といっても、その思想には哲学から文学作品、評論にいたるまで、きわめて多岐(たき)にわたっている。生涯といっても、サルトル自身の自伝『言葉』からボーヴォワールの自伝にいたるまでくわしく紹介すれば、それだけで十分に一冊の分量となる。また、哲学的大著の名著解題的な紹介も、原著が大部のものであるだけにとうてい十分のことはなしえない。ともあれ書物がまがりなりにも一つの生命をもち、独自の個性をもつものであるためには、書物の大小にかかわりなく、その書物独自のねらいがあってしかるべきである。本書は大別して二つの目標のもとに書きすすめられた。

 

その一つは、サルトルとマルクス主義との関連はどういうものなのかといった点について解明すること、それにつれてサルトルの思想と位置を確定し、サルトルの哲学的・文学的主張の要点を定型化することである。二つめとして、サルトルの思想的変貌の謎というか、変貌の論理というか、その変転の諸段階を論理的に把握しようというねらいである。この二つのねらいを基準としてサルトルの思想と生涯を概観し、要所要所の理論や作品を論じながらサルトルという一人の人物の全体像に迫ってみたい。もちろん、サルトルの全体像とは「全体化する全体性」なのであり、しかも、いまだ存命中の人物に完結した全体像などありえない。だからこそ変貌のなかでサルトルを論じようと思うのである。

 

目次

Ⅰ サルトルという人

サルトルとボーヴォワール
サルトルの歩んできたみち

Ⅱ サルトルの思想

 明晰(めいせき)なる無償性

哲学的私生児
無神論的実存主義

保留された自由

即自存在と対自存在
待機
演技(他者の前での物化)
束縛の文学

客体化された自由

変貌(へんぼう)するサルトル
自由の化石
客体への責任

集団となった自由

『弁証法的理性批判』
サルトルの実存主義

 

あとがき
年譜
参考文献
さくいん

 

 

Ⅰ サルトルという人

 

サルトルとボーヴォワール

 

その出生

ジャン=ポール=サルトル、一九〇五年、六月二一日パリに生まれ、一九〇七年に海軍の技術将校であった父を失う。その後、母とともに母方の祖父母にひきとられる。祖父はすぐれたドイツ語教師であったが、アルベルト=シュヴァイツァーは、祖父のおいにあたる関係なのである。祖父は読書家であり、大変な蔵書家でもあったので、幼いサルトルは自然と書物に親しむ習慣を身につけ、幼くして物語を創作したりする。一九一六年、母は再婚する。義父は父と同じような造船関係の技術者。幼くして父を失い、母の再婚を経験するという点で詩人ボードレールと同じ経歴をたどった。その意味で、後年サルトルがボードレール論を書き、幼年期の体験が詩人ボードレールの形成に大きな役割を果たした次第を強調する理由がわかる。

 

一九一五年、アンリ四世高等中学校に入学。級友のなかに、のちのコミュニスト作家、ポール=ニザンがいる。精神的に大きな影響を受ける。義父の勤務先の関係で、ラ=ロシェルに移転し同地の高等中学に転校。一九二四年、パリの高等師範学校(エコール・ノルマル)に入学する。この高等師範学校は、文科系の学校としてはフランス随一の優秀校であり、外交官、知識人のなかにすぐれた先輩をもっている。ロマン=ロランも同校の卒業生である。事実、サルトルの同期生にはすぐれた人材が多く、ポール=ニザン(作家)、レイモン=アロン(パリ大学社会学教授)、モーリス=メルロ‐ポンティー(サルトルとならぶ現代フランスを代表する哲学者。リヨン大学、ソルボンヌ大学、コレージュ‐ド‐フランスの教授。サルトルとともに雑誌『現代』を創刊する。のちサルトルと論争。一九六一年急死)、ジョルジュ=ポリツェル(マルクス主義哲学者。フランス唯物論哲学のもっとも指導的な思想家。ナチスの占領下で知識人の抵抗組織をつくったが、ゲシュタポにとらえられ、激しい拷問(ごうもん)の末、一九四二年銃殺された)、シモーヌ=ド=ボーヴォワール(サルトル夫人。作家・哲学者)などがいた。

 

高等師範学校(エコール・ノルマル)

サルトルが一九歳の時、三つ年上の不思議な美女カミーユと大恋愛劇を演ずる。大恋愛というより、大変ご執心といったほうがいい。世のなかには娼婦(しょうふ)だか文学少女だか文学的大天才だかはっきりしない得体(えたい)の知れぬ女性が存在するものである。おそらくカミーユもその種族の一員であったのにちがいない。「ふさふさとした金髪、青い服、きめの細かい肌、魅力的体つき、非のうちどころのないくるぶしと手首」をもった美女。高級娼婦のような友人づきあいを誰かれとなく行ない、長い髪をほどいて素裸でストーブの前に立ち、ニーチェを読んでいた。もちろん、カミーユもいつまでも娼婦をつづけるつもりはなかったが、つつましやかな家庭婦人になる気もなかった。そこに、一九歳のわがサルトルが登場する。サルトルは、「彼だけが彼女を田舎(いなか)の月並の生活から救い出すことができると説き、カミーユが自分の知性に賭(か)け、教養を高め。書くことをすすめ、自分が道を開く手助けをしてやる」といった(ボーヴォワール『女ざかり』)。若きナイトの大熱演である。サルトルは、しばしばカミーユのもとにおとずれ、眼をさますと彼女はニイチェの『ツァラトストラ』の一節を大声で読んでいた。しかしカミーユは「自分がジョルジュ=サンドのようになる日を待ちながら、今までの生き方をちっとも変えようともしなかった。」(ボーヴォワール『女ざかり』)

 

世にはいかがわしい情熱というものがある。通りいっぺんのいかなる情念よりもきらびやかで、魅力にみち、生命感にみち、活力にみちている……。これが美女の体内で輝くものである時、それに若干の本能がともなうなら、いっそう、何が知性で何が向上心だかわからなくなる。ニイチェは、生きて行くもの、動くもののなかに情念を発見していた。それが破壊であれ、混乱であれ、それは問わない。この情念が大女優を生むのか、大女流作家を生むものやら、インチキな生の哲学を説くあやしげな娼婦にすぎぬものやらわかったものではない。げてもののなかで輝く知性、インチキ情念のつくる運動は本物の真珠よりも、ヴェアトリーチェよりも、崇高にみえる。わがサルトルは多分にげて物趣味、救い主気どりの女性解放論者。全然げて物的情念をもたないボーヴォワールが、そばですっかりコンプレックスをもちはらはら、いらいらしたのも道理である。しかし、カミーユは演出家のデュランと結婚し、交友はつづいたとしても一応の結末に達したのである。

 

ボーヴォワールとの恋愛

ほんとうにすぐれた女性、自分と同等の知性をもち、自分にふさわしい情念をもった女性を、サルトルはボーヴォワールに求めていた。彼らは同じ高等師範学校で哲学を学ぶ同窓生として親しく交際していた。サルトルは特に、ニザン、エルボーと親しく、それにボーヴォワールを加えたグループでは、誰もがボーヴォワールに親切だった。もちろん、ニザンもエルボーもすでに結婚していたので、結局サルトルがもっぱらボーヴォワールのお相手をする順序になっていった。しかし、ボーヴォワールに「カストール」というあだ名をつけたのはエルボーであった。ボーヴォワール Beauvoirを英語風にもじるとBeaverとなり、英語では「海狸(ビーバー)」の意味となる。この「海狸」を逆にフランス語に求めると「カストール」になるわけなのである。サルトルは生涯ボーヴォワールのことを「カストール」と呼び、彼の処女作『嘔吐』には「カストールにささぐ」という献辞がついているほどである。先日訪日したサルトルは、「美しい紅葉した木を緑のなかで発見したり、往来でめずらしいものをみつけると、いつも『海狸(カストール)、見てごらんなさい』『海狸(カストール)、あの山のきれいさ……』と事ごとにボーヴォワールの名を呼んだ」(朝吹登水子『ボーヴォワールとサガン』)、全日程行動をともにした朝吹登水子は書いている。

 

ボーヴォワールは、彼女の大著『第二の性』のなかで彼女がもって自らの根拠とする恋愛のあり方を論じているが、それらのすべては彼女とサルトルとの間でつくりあげられた愛情生活を理論化したものなのである。彼女の恋愛論のもって理想とすべき姿は、『第二の性』のなかでスタンダールのロマネスクを論じた箇所に集約された形で説かれている。ボーヴォワールがスタンダールを高く評価する理由は、スタンダールが、情熱においては男女は平等であるという見解を実践した点にある。ボーヴォワールはいっている。「女をもっとも誠実に考えた時代は、男が女を同等者と考えた時代である。女のうちに一個人の人間的存在を認めることで男の生活経験は貧しくはならない。それが主体と主体の相互関係に行なわれるならば、豊富さも強さもけっして失わないはずだ」。とさらに、ボーヴォワールは、真の情熱は個人の自由のまっただなかでとらえられなければならないと主張する。「真正の愛または高貴な情熱は、恋する者の自由な投企のなかではじめて現われるものである。すなわち恋人たちが彼のらの自由を相互に自覚しつつ与えあい取りあう喜びから、生理的な愛はその力と品位をひきだすのだ。」ボーヴォワールは、その情熱が真に自由なものである時にのみ、自分を高め、また相手の情熱を自由なものへと高めることができると主張する。情熱は自由と一致してはじめて本来的なものとなることができる。「わが自由を純粋にして保存していた女性たちは、いったん自分にふさわしい対象にであうと、情熱によってヒロイズムにまで高揚する。」

 

さらにもう一つつけ加えておきたいことは、ボーヴォワールの自由への投企は、きわめて情熱的行為であったので、自由とは単に理性的人格の満足につきず、常に幸福との一致を理想としていたということである。ボーヴォワールは『女ざかり』のなかで、「私は一生のうちで自分ほど幸福にたいする本能に恵まれた人間に会ったことはないし、また私ほど頑強にしゃにむに幸福に向かって突進して行った人間も知らない。もし人が栄光を私に差し出してくれたとしても、それが幸福にたいする喪(も)であったら、私は栄光を拒否しただろう」とのべている。このボーヴォワールの自負は、地上に生きる者が、生あるかぎり、地上での喜びのすべてを味わいつくし、来世の幸福などみむきもせず、地上を花とかざって死んでいく、こういった現世と人間を讃美するこころの現われなのだ。反面、名誉より幸福を、というボーヴォワールの考えは、彼女特有の女性らしい執着心と素直な女のこころを感じさせる。

 

ボーヴォワールは文学的名声を得た時、その名誉ゆえの喜びより、このことがきっかけとなり、普通ならとうてい得られないような交友を得た、その喜びのほうが大きかったと語る。他方、サルトルはボーヴォワールと若干ニュアンスがちがって、一応の文学的野心にもえ、自分の作品を心ひそかに未来の文学史のなかに位置づけていたのである。すぐれた作品であればあるほど生前はあまり評価されず、死後になってはじめて名声を得るものだと頭からきめてかかっていたサルトルは、思いがけず早くやってきた名声の前で、かえってとまどい不安になるのである。名声を得たということは、作品が俗悪なものだという証拠ではないか、と。「いっぺんに有名人でしかも破廉恥漢(はれんちかん)にされてしまったサルトルは、かねての野心を越え、かつそれと矛盾する名声を得たことに不安を抱かずにはいられなかった」とボーヴォワールはのべている。思いがけずやってきた幸運のかげで「死の床で栄光に包まれる」という「呪われた詩人」のイメージを失ったサルトルは、この喪失を転じて、「一時的なもののなかに絶対性を置こう」と決心するのである。「自己の時代に閉じ込められた彼は、永遠を排してこの時代を選び、時代とともにまったく滅び去ることを受け入れ」たのである。このボーヴォワールとサルトルに共通する態度は、単に世間的な栄光や名誉に安んぜず、それを常に人間的充実でうらづけ、この人間的充実のゆえにこの地上と現在を肯定するという現世主義者としての姿勢である。

 

自由な男女の二つの主体が、その時々の情熱の投企に愛情の発現を賭けて行く、というサルトル=ボーヴォワールの恋愛論は、反面、情念の永続的な共同体としての結婚という形態を拒否するという結果となる。彼らの愛情論は、いわば永遠の恋人であることを求めるものなのである。二つの自由な主体の情熱的投企のつづくかぎりしか、愛情関係は存在しえない。恋愛と結婚の両立の不可能を結論とする彼らの愛情論は、虚偽にみちたブルジョア的結婚制度への批判を動機としているものであるとはいえ、やはり、その点に最大、唯一の欠点があるといえる。両性が自由、平等であるままで、一つの共同体を形成することは不可能であろうか。マルクスは、「個人的定在における人間が同時に共同的存在となる」関係を男女関係に認めていた。結婚という共同体がそのまま各個人の独自性と自由をみたす。

 

サルトル・ボーヴォワールと結婚論

では、なぜ、サルトルとボーヴォワールは結婚という形態を拒否するのか。それは彼らの自由論から由来している。彼らの自由は、何らかの事物・自然を超越して行く人間投企のなかにしか認められないものなのである。事物や自然に依存して生きる態度を内在的態度とよんでこれを激しくしりぞけるのである。自由とはこの内在を超越し、内在を支配する反自然的行為においてのみ成立する、と彼は考えている。したがって、愛情もまた同様に内在をこえる情熱的投企である以外のものでありえないということになるのである。愛情はそれが真に自由と一致するものであるなら、内在的な共同体をしりぞけ、超越する二つの自由の情熱的投企の合致点において以外成り立たない。だから、二人の男女は、それぞれ一個人として、自由人として単独に生活し、情熱的投企において共同性に到達するという次第となる。サルトル=ボーヴォワールにあって、結婚否定論の根拠となるべき理由は、大別して二つあるように思われる。(i)一方の自由は相手の支配超越となり、一方が自由なら他方は物となる。(サルトルとボーヴォワールは、相互に相手を尊敬し合っているし、実践的には相互承認が成立しているので、この理由はあまり彼ら二人については適当でない) (ii)超越的投企を強調するあまり、内在的共同生活を軽視する結果となった。(この理由が、彼ら二人の場合にあてはまる)

 

確かにボーヴォワールの愛情論には、べったりとした、マイホーム的奥様族の内在主義がもつ反社会的姿勢への激しい攻撃がある。また、女性天職論とでもいうべき、女性の血縁的部落への埋没をしりぞける点で大いに賛同すべき点が多い。しかし、情熱の自由は、すべて反自然的投企にのみ認められるものであるとして、内在的自然の充足のいっさいを否定するのはどうだろう。恋愛の時期には、求めあう二つの主体の激しい投企がすべてである。しかし、結婚にあっては、求めあう両性の一致点は、激しく燃えて追求する努力の彼方に存在するのではなく、日常の生活の、毎日のできごととして実在するようになる。その時、両性の合致点はすでに求めて追求する対象ではなく、そのなかに住んで安らう出発点となっている。結婚における情念とは、人間的自然の深い充足の共同性にほかならないものであると思う。この人間的自然の充足という内在性が、結婚した人間にとって、さまざまの人間的投企・行動のエネルギーの源泉となっているのである。この充足感情は、表面は静かであっても実に深く激しい情熱にみちたものなのである。この人間的自然の充足という結婚の情熱を、すべて内在主義としてしりぞけるボーヴォワールの考えには一概に賛同しがたいものを感ずる。

 

この内在的自然性としての個人が結婚という形での共同生活をおくる場合、これがどういう形の共同生活であるのかということが、当然問題とならざるをえないであろう。これが、没個人的・血縁的家族主義への埋没という形で果たされる時、われわれはボーヴォワールとともにこれを激しく拒否しなければならない。だからといって、内在的共同性そのものをまでしりぞける必要はない。それぞれの個体としての独自性と主体性をもったままで、二つの個体の個性的な充足の連帯関係をつくりあげることが可能であるはずではないか。また男女の連帯はそれ自身で一つの充足体を形成するという側面も決して忘れるべきではないと思う。

 

必然の恋と偶然の恋

ボーヴォワールは、その自伝『女ざかり』のなかで次のようにいっている。「サルトルは一夫一妻制度向きではなく、二三歳の彼は、さまざまな女の魅力をあきらめるつもりは全然なかった」と。さらにサルトルは「十八番(おはこ)の言葉」で、「僕たちの恋は必然的なものだ。だが、偶然の恋も知る必要があるよ」といっては、ボーヴォワールに説得するのだった。まったくサルトルとは調子のいい男である。

 

ボーヴォワールは、このサルトルの説明に対して、次のような解釈を加えている。「私たちは同じ種族の人間であって、私たちは生命のつづくかぎり仲良しでいるだろう。それは、異質の人間たちとの出会いの束(つか)の間の豊かさを凌駕(りょうが)するものではないが……」と。世の結婚は大別して二種類ある。その一つは、似た者どうしの結婚、同質の者どうしの結婚であり、他は異質の者どうしが、それぞれお互いの性格・個性が反対であるがゆえにひき合うという関係のうえに成立した結婚である。世のなかの結婚は一夫一婦制のうえでは、どちらかを選ぶ以外にはない。だから、どちらを選んでも、他のタイプを欠如して感ずることはさけがたい。その意味で、完全な愛というものは天上にも地上にもどこにもありえないものなのである。だから、両性面の結合の普遍妥当的な原理といったものは存在しない。あるものは個性と個性との、同質どうし、同質・異質いずれかの結合形態のみである。個性と個性との間における相対的に長期間の共存、これがいつわらざる現実である。これが結果として、「一つの生涯に一つの恋」という形をとる場合もあるであろうし、一夫一婦制を前提とすれば離婚と再婚という形態をとる場合もあるであろうし、サルトル流に、一夫一婦制を積極的に肯定せず、二つの恋を同時に併行させて行く場合も可能であろう。ちなみに、エンゲルスは「愛にもとづく婚姻だけが道徳的であるならば、おなじく愛の存続する婚姻だけが道徳的である。しかし、個々人の性愛発現の存続は、個々人によってひじょうに相違する。とくに男性の場合においてそうである。そして、愛情がげんに終熄(しゅうそく)したり、新しい情熱的な恋愛によって駆逐(くちく)された場合には、離婚は、当事者双方にとっても、社会にとっても善行である」とのべて、離婚・再婚の可能性について論求している。

 

さて、ボーヴォワールはサルトルとの恋愛を同質的結合と断定している。これは大局的にみてその通りだと思う。サルトルは、同質的結合のほうを必然の恋と断じているが、これは一概に断定しがたい――ただ、ボーヴォワールとの結合が必然的ということなのであろう。ボーヴォワールのほうは、よりリアルに、同質的結合のほうが、つねに異質的結合を豊かさにおいて凌駕するとは限らない、と考えている。ボーヴォワールの処女作『招かれた女』は、この主題を発展させたものである。知的情熱において同質的な一組の男女の前に、感覚的情熱において鋭い一女性が現われる。男は異質な女性グザビエールにもひかれるようになる。女主人公は結局、この愛の相剋(そうこく)の結末を、自分のライバルの殺害、つまり他者の絶対的排除によって以外解決しえなかったのである。この『招かれた女』の内容となった事柄は、実在するできごとをモデルとしたものなのである。サルトルとボーヴォワールとオルガという少女との関係がそれである。もちろん、実在する関係では、オルガは田舎(いなか)の両親のもとに帰り、破局に達することはなかったが、いずれにせよ、同質の結合を維持しながら、同時に異質の女性の魅力もあきらめない、というこのサルトルの恋愛劇も単純に平和ムードで両立できるものではありえなかったことだけは確かである。

 

 

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