「人と思想」シリーズ

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人と思想22『ニーチェ』のまえがき+αを読んでみる

ニーチェ_表紙

 

ニーチェについて

 

現代文明の病理

危機と動乱の世紀といわれる現代に生をうけたわたしたちは、人生に対する深い疑問と不安の念にさいなまれて、毎日の生をおくっている。窮乏と失業の不安、原爆の脅威、世界各地での悽惨な武力抗争など、そのどれをとってみても、現代の文明社会の病根の深さを思わせるものばかりである。こうした非人間的な状況を目の前にして、わたしたちは、人生に対する深い懐疑と暗い絶望の念にさそいこまれる。人生の目標や意義の喪失を告げるぶきみな虚無(ニヒル)の深淵が、わたしたちの足もとにぽっかりと口をあけて、片すみの幸福と片ときの平安をおびやかし、のみこんでしまう。

 

二〇世紀の現代を覆う、こうした虚無主義(ニヒリズム)の風潮は、一九世紀のもろもろの文化現象をとおして、すでにその徴候を見せはじめていた。理性の万能と人類の無限の進歩を信じた近代文化の行きづくりを思わせる一九世紀の西欧世界は、いわば潜在的なニヒリズムにむしばまれはじめていたのであって、華やかな浪漫主義(ロマンティシズム)個性主義、歴史主義、民族国家の理念などの内実は、生の衰退をあらわす世紀末的なデカダンスの病理に犯されつつあったのである。

 

ニーチェは、こうした一九世紀後半のヨーロッパ文明と徹底的に対決して、その病根をあますところなくえぐり出し、来るべき二〇世紀を支配するものはニヒリズムの亡霊であろうと予言することによって、現代西欧文明のすぐれた病理解剖学者としての実を示した。こうしてニーチェは、現代文明に対する数多くのすぐれた診断書と適確な処方箋を、わたしたちに書きのこしてくれた。

 

神の死と価値転換

ニーチェは、既存のいかなる価値や権威にもとらわれない自由精神の徒として、「善悪の彼岸」に立って「偶像の黄昏」を正視し、ニヒルの現実に徹底してそれを自らの運命として能動的に生きぬくことによって、強健な生へと快癒する「曙光」を招きよせ、やがては、あらゆる生に対して歓喜の肯定を体験しようとする、「超人」による「正午」の哲学を建設することをめざす。徹底的(ラディカル)で能動的(アクティブ)なニヒリストとしてのニーチェが、ここに誕生する。

 

徹底的ニヒリストとしてのニーチェが見いだした西欧文明の病根は、何であったか。それは、人生の真の目標である「より教権な生の実現、すなわち「権力(マハト)への意志」が蔑(いや)しめられて、もともと「権力の意志」の自己実現のための手段であり人生解釈上の視点に過ぎない「理想」や「価値」を絶対視するという、偶像崇拝的と手段の価値転倒」こそが、潜在的ニヒリズムの表現であるデカダン文明の真因であり、この真因を摘出しない限り、ニヒリズムの顕在化は必至である、とニーチェは警告する。

 

ニーチェは、このような価値倒錯をひき起こした元凶として、ソクラテスにはじまる西洋形而上学の伝統と、ユダヤにはじまるキリスト教文化の道統を指名する。こうしてかれは、ヨーロッパ文明をつくりあげてきたギリシア哲学とキリスト教文化との二大潮流に有罪宣言を下すことによって、既往の全ヨーロッパ文化を断罪して、ソクラテス以前のギリシア悲劇時代における自然世界への帰郷を説く。

 

ニーチェによれば、今や、もろもろの道徳理想(神々)は消滅し、唯一人格神である神も死んだ。これまでのすべての価値は、無に帰した。いや、それらがもともと、無への意志に基づいて立てられた偽りの人生解釈であることが、暴露された。今後は、わたしたちひとりひとりが、新たな価値定立の主体として雄々しく生きなければならぬ。そしてそのためにはまた、わたしたち各自の自由な所行によって、従来のいっさい価値の価値転換が試みられねばならない、と強調される。

 

孤高な背徳者(インモラリスト)

しかし、ニーチェが説くこの新しい人生肯定の途は、まとに嶮しい孤独な人生を、わたしたちに強いることとなろう。既往のいっさい価値の価値転換をめざす者は、既存の権威に安住しようとする世間からは、道徳を否認する背徳の徒(インモラリスト)、神をなみする不信の徒(アンティクリスト)として弾劾されることを、覚悟しなければならない。

 

未来の人類に対してより高貴な人生の可能性を贈ろうとする、「遠人愛」の使徒ニーチェをとりまく生の現実は、まことにきびしい孤独と寂寥の連続であった。世人からの中傷や無視という冷遇に耐えてニーチェは、インモラリストでありアンチクリストであることを、むしろ無上の誇りとして生きた。そのためにかれは、当時の学会や思想界からしめ出されただけではなくて、かれが愛してやまなかった母や妹や友人たちとの間に、つぎつぎと別離の悲運を招きよせることともなった。こうして著作家としてのニーチェは、だれひとりとしてその真意を理解してくれる者とてはないという、全くの孤独な人生に悩み苦しみとおさなければならなかった。

 

ニーチェはいう。こうしたインモラリストとしての生は、まことにけわしくて耐え難い、孤独の生ではある。現実のじぶんがそうした苦難に耐ええないとするなら、正直にそうした弱さを告白して、没落していくことこそが美しい。そうした下根(げこん)の人間にとっては、奴隷的な屈従の生こそがふさわしいのであって、かれには、人権の平等や人間性の高貴さを語る資格などないのである。かれが人間としての尊厳性をあえて主張しようと欲するならば、孤独の苦難に耐えて孤高な生をつらぬく強健な自己を練りあげていくために、無限の自己超克を積み重ねていかなければならない。本来の人生とは、こうした自己超克の過程そのものにほかならず、これによって、本来在るべきところのものに実際に成りいくことこそが、人間各自にとっての最高の課題なのである。こうして、衆をたのむ衰弱した末人(まつじん)や畜群のひとりとしての生を否認して、孤高に耐えて強健な主体的人生を生きる高貴な生きかたを選びとることによって、人類歴史の目標である「超人」を産み出すための架け橋となることこそが、人間本来の生きかたでなければならない、と。

 

ディオニュソス賛歌

わずか二四歳の若さでスイスのバーゼル大学の古典文献学教授に推された天才ニーチェが、高貴な生の典型として見いだしたのは、ギリシア神話のなかに生産と酒の神として登場する、ディオニュソスの世界であった。生のエネルギーを解放して荒々しい狂乱怒濤の陶酔に人々をさそいこみ、自らを八つ裂きにされながらその死灰を糧(かて)として雄々しく蘇生するディオニュソス神こそは、永遠の生成・自由な創造において生の歓喜を体験しようとする、ニーチェ哲学のシンボルであった。

 

さて、このディオニュソス的な価値観点からすれば、一義的な限定をゆるさない対極的な二元性の緊張をとおして、多面的に自己を肯定し実現していく内容充溢した生こそが、至高の価値をもつものとなる。快を苦痛の回避としてではなくその克服として、善を悪からの逃避としてではなくてその浄化として評価する人生こそが、偉大なのである。

 

こうした観点に立ってニーチェは、二元性の一方を切り捨てて他方のみを肯定しようとする卑小な人生解釈のいっさいに対して、強硬な異議をつきつけていく。ニーチェの思想が、真実の自己を発見し、自由な創造的人生を生きようとつとめるすべての人びとの魂に対して、魅力に満ちたよびかけの波紋を広げていく力をもっているのも、主としてこの面にあるであろう。

 

しかしもちろん、否定のための否定、破壊のための破壊などが、ニーチェの真意ではなかった。その価値を認めて尊敬し愛惜するがゆえにこそ喰いつくのであって、尊敬に値しないものに対してはそっとその傍を通りすぎる、というのが、ニーチェの批評活動をつらぬくモラルであった。

 

それゆえ、ニーチェが、利他主義に対してエゴイズムを、同情に対して敵意を、隣人愛に対して遠人愛を、神に対して超人を、道徳(モラル)に対して背徳(インモラル)を、価値に対して自然を、存在に対して生成を、意識に対して無意識を、大人に対して小児を、大衆(マス)に対して個人を、民主主義に対して貴族主義を、社会的平等に対して権力的支配を善しとするのも、一方的に前者を否定して後者のみを立てようとするのではなく、前者を後者との対立緊張の関係に置くことによって、前者のもつ真価を大きく肯定し直そうとする、ディオニュソス的な生存肯定の精神に基づくものであることを、見失ってはならないであろう。

 

ニーチェと反動思想

しかし、ニーチェが遺(のこ)した一つ一つの言葉の中にこめられているかれの真意を、正しく読みとることは、それほどたやすいことではない。合理的な思索や論理的な表現よりもむしろ、超合理的な生の神秘と錯綜した心理の深層を、自由奔放な千の遠近法(解釈観点)を駆使して探ろうとするのが、ニーチェであった。かれは、論理的な斎合性や客観的な一貫性を重んずる科学者であるよりも、音楽的な直観と詩的な形象を愛するという、芸術的な天分に恵まれた自由思想家であった。体系家であるよりも自由な批評家であるところに、かれの本領があった。こうしてニーチェは、その自由な探求の成果を、好んで短文型式の断章(アフオリズム)(箴言)や詩文によって表現した。このことがまた、かれの思想の真意をとらえることを困難ならしめる。その意味で、ニーチェほど、危険な誤解をさそう思想家もないであろう。

 

たとえば、神が死んだ、「真理はどこにもない、いっさいのことは許される」(『ツァラトゥストラ』第四部、影)という言葉は、これによって人間ひとりひとりに巨大な責任の自覚を促すというニーチェの真意とは全く逆に、惰弱な我欲の生を合理化するもの、という誤解をさそう危険性なしとすまい。「距離の感覚(パトス)を鋭く研ぎすまして、価値の低俗化をもたらすマス・デモクラシーや、群をたのんで個性を平均化する社会主義を攻撃する、ニーチェの精神的貴族主義の主張は、反動的な権力支配の政治を合理化するために利用されることともなろう。

 

たしかにニーチェには、古いポーランド貴族の家系に連なることを誇りとし、ドイツ皇帝ウィルヘルム四世の寵をうけた牧師の長男であることを名誉とする、大衆蔑視のブルジョワ的な偏見がある。実際にかれの思想は、のちに、ヒットラーのナチズムを合理化する武器として利用されもした。それゆえに、たとえばルカーチがその著『理性の破壊』で示したように、ニーチェをファッシズム権力政治への途を準備した反動理論家として解釈する試みも、出てくることとなるのである。

 

ニーチェが書き遺したアフォリズムのあれこれのなかには、たしかに、このような解釈を許す危険な断定が、数多く散見される。わけても、かれが発狂によって著作家としての活動を閉じる直前まで、その構想を練りつづけ、珠玉の断片をノートに書きとどめて完成につとめた遺著の標題として選ばれたのが、「権力への意志」であったことは、みぎのような解釈をさそう有力な根拠の一つともなろう。

 

しかし、このばあいでも、かれの権力意志説はもともと、他人を支配するよりも先に、自分じしんをきびしく律する自己超克の原理として掲げられたものであることを思うならば、ニーチェをナチズムと同一視して反動理論家よばわりすることは、行きすぎた解釈であるといわなければならない。

 

真の弟子として

ともあれ、わたしたちは、ニーチェが断定した一々の言説にとらわれることなく、かれの真髄にふれることをめざして、かれとの真剣な対話を重ねていかなければならない。そのときニーチェは、わたしたちを導いて、人生のもつ実にさまざまな可能性や、予想もしなかった生の陥穽に気付かせてくれるであろう。惰弱な安定を恥じる高潔な生への意欲を、よびさましてくれるであろう。しかし逆にわたしどもは、ニーチェの独断に対する深い疑惑と反撥を感ずるばあいもあろう。しかし、そのときにこそ実は、わたしたちは、ニーチェの最も近くに立っているのかも知れないのである。

 

ニーチェは、その主著ともいうべき『ツァラトゥストラ』の第一部のさいごのところで、かれに従おうとする弟子たちに、こうよびかけている。

 

「わたしはいま、君たちに命ずる。わたしを捨てて、君たちじしんを見いだすことを。君たちのすべてがわたしを否定して自立することができたとき、そのときにこそわたしは、君たちのもとに帰ってくることとなろう。」

 

本書は、読者のかたがたが、こうした意味で真のニーチェの弟子となり、かれを糧として真の自己を発見し、確立するための一助となることをねがって、書かれたものである。本書が、読者のかたがたとニーチェとの直接の対話を導く機縁とでもなりうるならば、幸せである。

 

秋田大学倫理学研究室にて

工藤綏夫

 

目次

ニーチェについて

Ⅰ ニーチェの精神風土

ニーチェ思想の反時代的な時代性
ニーチェが生きた時代
時代の三大思想潮流とニーチェ
ニーチェをとりまく自然

 

Ⅱ ニーチェの生涯

「小さい坊さん」の生い立ち ――幼年時代――
魂の独立を求めて ――ブフォルタ学院時代――
良師の理解ある導きのもとで ――大学生時代――
青年と時代の教師ニーチェ ――バーゼル大学教授時代――
たたかうニヒリスト ――新たな価値定立者としての自立――
狂気の中での生の黄昏 ――小児の心への帰郷――

 

Ⅲ ニーチェの思想

ニーチェ思想の根本性格
ニーチェ思想の発展段階
ディオニュソス的世界観
自由精神の哲学
ニヒリズム対決の倫理
ニーチェ思想と現代

 

年譜
参考文献
さくいん

ニーチェ_p16-17

 

Ⅰ ニーチェの精神風土

 

ニーチェ思想の反時代的な時代性

 

ニーチェ思想の運命

ニーチェほど、さまざまな受けとめかたをされた思想家も、そうないであろう。生前のかれは、すべての天才的な思想家がそうであったように、かれの同時代人たちからは、完全な無視や、敵意をこめた反感をもって遇せられた。かれの思想が、時流を追うよりもむしろ永遠をねがい、時代に背いてその病弊を苛責なく摘発するものであったからである。こうして生前のニーチェは、かれじしんも誇りをもって自認していたように、まさに「季節はずれ」のあだ花のような観を呈していたのであった。

 

しかし、ニーチェが一九世紀とその運命をともにしてその生を閉じた一九〇〇年は、新しい世紀の開幕の年であると同時に、ニーチェの声価の高まりを告げる幕明けの年でもあった。文明批評家としてのニーチェの名は、かれの生国ドイツを越えて全ヨーロッパに知れわたり、さらには大洋を越えて、わたしども日本人にも記憶されるようになる。情熱的な評論活動によって英雄的個人主義を鼓吹(こすい)した高山樗牛(ちょぎゅう)が、ニーチェを日本人に紹介したのは、早くも一九〇一年であったし、和辻哲郎の名著『ニーチェ研究』が公刊されたのは、一九一三年であった。また、一九一七年には、個性尊重の人格主義によって、大正期の青年たちに大きな影響を与えつつあった阿部次郎が、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を講じていた。そしてここでは、ニーチェは、卑俗な物質文明や喧噪な軍国主義を斥けて、個性的な内面生活の高貴さを教える自由な教養主義者として、迎えられていたのである。

 

ところが、第一次世界大戦後の混迷した世相のもとで、自由な知的教養という理念の無力さが暴露され、この欠を補うものとして、全体主義の政治権力が台頭してくるにつれて、ニーチェの権力意志説がにわかに脚光をあびて登場する。たとえばアルフレット=ローゼンベルクやフリッツ=ギーゼなどという、ナチスの御用理論家(イデオローグ)たちによって、ニーチェは、ドイツ「第三帝国」の危機を救済するための全体主義権力を合理化する、反動理論の提供者に仕立てあげられもしたのであった。

 

ニーチェを悪用したナチズムの暴力は、やがて、第二次世界大戦をとおして、歴史のきびしい裁断をうけた。しかも、この敗戦国ドイツや日本において、敗戦後の精神的な空白をうずめ、廃墟と化した泥土の上に平和的で文化的な国家を再建するための、新生の導師としてよび出されたのも、ニーチェであった。こうしてニーチェは、いわば、自らがその責任の一半を負わされた戦争の死灰を自らかき集めて、それを文化再建のための肥料たらしめるという役をも担わされる、ということともなったのである。

 

超時代的な生の遠近法

生前において、時流に抗して永遠を志向したニーチェの思想が、死後においては、一貫して時代とその運命を共にし、よかれあしかれ、いつでも革新の先導役を演じつづけてきたのは、なぜであろうか。それはおそらく、超時代的な遠近法主義(バースペクティビズム)を採用したニーチェの思考法に基づくものであろう。

 

ニーチェは、すべての真理や価値の意味を、それだけとして客観的に固定したものと考えてこれを絶対化しようとする、形而上的な思考法に反対した。かれによればいっさいの価値は、生命主体の生の展開と相関的にのみ、その意味が定まるものであるとされた。こうしていっさいの真理や価値は相対化され、生命主体を中心とし、生命主体が据える生存解釈の視点を中心として、遠近法的に配置されることとなった。

 

ここで、この遠近法の中心に据えられたのは、生の創造的な根元力としての「力への意志」であり、ヨーロッパ二五〇〇年の歴史を一挙にさかのぼって到達された、ギリシア悲劇時代の生産的自然であり、その象徴としてのディオニュソス的な活力であった。この自然、この活力は、破壊と再建のたえざる生成の渦中をとおして自らの本質を実現していく。そして、このたえざる自己実現の過程をとおして、さまざまの価値観点を設定してその生の秩序をととのえるとともに、さらにはそれをのりこえ、破壊して、より高い立場へとその価値観点を移動させ、ずらしていく。こうしたニーチェの遠近法的な人生解釈の哲学は、行きづまった時代の新しい発展方向を探求しようとする人びとを導いて自由な活路を指示し、新しい未来を切りひらく創造的活動の意力(エネルギー)を供給するという機能を果たすことによって、時代のすぐれた推進力ともなりえたのである。

 

偶像の破壊とニヒルからの出発

ニーチェの遠近法的な生存解釈の哲学は、すべての価値からその孤立的な絶対性を奪い去ることによって、必然的に偶像崇拝的な態度の破壊をもたきたす。とくにそれは、絶対性を潜称して万人をその前に拝跪(はいき)させようとする、その時代公認の支配的権威の空しい実体を暴露する、鋭い武器として機能する。

 

既存の社会秩序や公認の価値体系がゆらぎ、新しい秩序や価値の出現が待望される動乱の時代、危機の時代においては、多くの人びとが古い偶像の崩壊を実感するようになる。とくに、真実の価値を求め、正しい生の支えを見いだそうとつとめてやまない誠実な人たちにおいてこそ、この価値空洞化の実感はより切実なものとなって迫ってくる。

 

このとき、このような人びとにとって、いっさいの価値の相対性を告知して、偶像崇拝的な態度こそが生をむしばむ虚無感の成因であることを説くニーチェの哲学は、大きな救いとなる。この哲学の鉄鎚に打たれることによって人びとは、時代の偏見から自己を解放して、ニヒルな現実に耐えて永遠の生をめざそうとする強健な自己へと、自らを鍛え上げようとしたのである。

 

こうして、ふだんに既存の自己をのりこえ、既存の秩序や価値の絶対化を否定して、より高貴な自己と、より旺盛な創造活動の世界へと限りなく帰郷していくことが、危機の時代を生きるわたしたちの課題となる。この課題を正しく担うためには、むしろ時代的制約を一挙に超えて、あらゆる時代的特長を一望のもとに収めうるような、長いコンパスをもった眺望視点に立たなければならない。このような視点から見るならば、時代的に制約された特定の価値観点からする生の意味づけは、その絶対性を喪失して無に帰することともなろう。けれどもこの無はまた、これを積極的にうけとめて、そこから自己の新しい生きかたを再出発させようと決断する者にとっては、あらゆる自由、あらゆる可能性を生み出す創造原理へとひるがえる。このようにして、むしろこの無に耐え、この無を支えとして、真実の自己を確立し、与えられた現実を大きく肯定し直そうとするものが、ニーチェ思想の真髄である、というべきであろう。

 

生そのものの自由な創造活動以外のすべての価値観点の自立性・窮極性を否認する、このニヒリズムの哲学からすれば、世俗的な政治権力や特定民族の絶対的優越性を主張するナチズムの理論は、全くのナンセンスに属するものであるというべきであろう。

 

しかし、この哲学はまた、相対的な意味では、あらゆる立場や観点を許容するものともなる。したがって、自制と自己超克のきびしさを見うしなって、ニーチェ思想の一局面を安易に絶対化しようとする勝手な解釈の可能性が、そこにはふだんにつきまとっている。

 

時代の子ニーチェ

そこで、こうした安易な解釈をもてあそんでニーチェの真姿を見うしなわないためには、かれがあのような長脚の遠近法を用いざるをえなかった真意を、かれが生きた時代の状況に即してつきとめていかなければならない。こうしてこそ、ニーチェの真価とその限界を正しくおさえて、かれから正しく学んでいくこともできるであろう。

 

思えば、ニーチェほど、時代の運命と人類の将来を深く気にかけた人はいなかった。そこに容易ならざる病弊を見てとったからこそ、ニーチェは、世人の非難に耐えて時代を弾劾したのであり、この断崖を徹底的に遂行してその病根の根元をつくために、あのような反時代的な生の遠近法の立場を選びとったのである。このようにみるとき、ニーチェほど時代の要請に答えようとした思想家はなかったのだ、というべきであろう。

 

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