「人と思想」シリーズ

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人と思想2『孔子』のまえがき+αを読んでみる

孔子_表紙

孔子_肖像

 

孔子について

 

『礼記』の壇弓篇の中に、孔子の晩年、ある日の挿話がみえている。

 

朝早く、孔子は杖をひきながら、門前を散歩していたが、ふと口ずさんで、低音に歌った。

泰山もやはり崩れるであろう

橋の横木だって腐りおちるであろう

鉄人だって病みしぼむ日がくるであろう

歌い終わって部屋にもどり、南向きの窓下にすわった。門人の子貢が、歌声を聞きつけ、「これはたいへんだ。先生は病気になられたそうだ。」と、小走りにかけつけてみると、孔子は言った。「おお、もうきたか。・・・・・・自分は殷人の子孫だが、昨夜の夢に、殷の礼俗どおりに、応接間の二本柱の中間に置かれて祭られたようだった。いよいよ自分の死期も近づいたらしい。」と。それから寝ついて七日目に世を去られた。

というのである。

 

すでに孔子の家塾にはいる門人は三千、一芸に通じたものは七十二人、そして出色の孔門は十哲、と称されるほどである。ところが、その日常生活ぶりの一端はといえば、まことに平凡・正常で、気どらず、飾らず、自然のままの一老翁の姿そのものであったことを、この挿話からよみとることができる。私たちは、人懐っこさをしみじみと感ずるのである。

 

家族と自分、社会と自分、そして人間としての自分が、どうあるべきであるかを、平凡・正常な言葉で説きさとす孔子が、早起きして門前を散歩し、感興のわくままに低音で歌唱する。―そうした情感をも豊かにそなえているひとりの老翁が、そこにいる。そして、山川・風物、ひいては人生、すべては、時の流れの起伏の上に、自然、必然の推移や変遷を遂げねばならないものであり、また、宿命でもある。―こうした天命や宿命を淡々として語りさとす情理の老師が、そこにいる。

 

弟子と老師―子貢といい、孔子という、それが互いに愛しみ、あわれみ合って、心の対話を遂げ、慈けの恕り(おもんばかり)を果たし合うのである。情味津津としており、全人即応の教育の姿がまさにここにある。

 

さて、みずから孔子は、殷の公族の後裔であると言った。殷人は紀元前十一、二世紀ごろから高度な文化を開発していた。おそらく孔子の先世は、その殷文化を伝習しつづけていたに違いない。そして孔子は、そのような累積の文化遺産を基礎にし、また、人間生活の調和と安らかさを得るような生活のしかた、秩序を、思考してきたのであったろう。

 

そこに、殷民族がはやくから天を信仰し、家族の生活形式をつくり、人間の生命を保全し永続することを計った、などの諸点に立脚する孔子の天命重視の考えや人間観、また、孝弟道徳、礼楽理念や、中庸・調和の重視などという思考が、生じているのであり、さらに、それらの根底を深く追求してみて、忠(まごごろ)と恕(おもいやり)の情操をつきとめ、これを核心として、人間生活のための原理である「仁愛・仁道」を、確立するにいたった。

 

孔子前後においても、「兼愛交利」とか、「為我保身」とか、「無為自然」などという、多様な生活の原理は、中国のもろもろの思想家によって唱えられていたが、民族本来の志向に適切な生き方はということでは、やはり孔子の理法がまさっていた。ここに民族三千年の待望を担った理由がある。

 

弁舌才学に秀いでた子貢に、夢物語に託して、通夜の礼式の精神と移り変わりを教えていた。それは世を去る七日前のことであった。しかも、淡々として、夢話をこころみ、死期にのぞむ人の恐れも惑いもなく、執着などさらにないのである。こうした心境の老翁にあの歌唱の情感ゆたかなすさびがあり、そして死期迫ればその迫るに応じて、切実なそして現実的な礼俗・秩序を身近に示そうとして、しまも悠然としている。この人柄、この人間性、この情感・情理と英知、そして教化、それらに感動しないものがあるであろうか。

 

最も人間らしい人間性の典型を、孔子その人に見い出すことができるのである。つぎには、真心からの思いやり、情けの心ばえに基づく、人の世の生き方の思想を、ふかぶかと孔子のの言説中にみてとることができるのである。

 

孔子の思想における理想的人間像と、人を愛恕(いとお)しむ情緒心(なさけごころ)との再発見は、それがどんなに、現実の人の世に、深みをそえ、住みよさをもたらしてくれることであろうか。それは大きな夢であるかもしれない。けれども、われわれは、この人の世に、信じてこの夢をかけてみたいのである。いや、かけねばならないのである。それは世界人類の安らぎと平和のためにも。

 

ここに、孔子を学び、その思想の背景を吟味し、あわせて深く掘り下げてみる必要性とその理由とがある。

 

孔子の教えは、多くの弟子たちに受けつがれた。時の移り変わりとともに、その色あいにはちがいを生じつつも、死滅することなく、今に至るまで伝えられてきている。このことでは、台湾・欧米の文化界においてはもちろん、中共においても最近の十余年間に、多数の文化人・学者などによって、孔子の思想の再検討と論評とが行われているのである。その当・不当はともかく、なおいっそう多方面からする、孔子とその思想の再評価が、進むことは、まことに意義深いものである。

 

終わりに資料提供に対して、横浜中華学院、神奈川県立外語短大付属今井雅晴氏に謝意を呈します。

 

内野熊一郎

 

 

目次

 

Ⅰ 孔子の横顔について

孔子をみる人の目
孔子の祖先たち
孔子の出生前後
孤児となった少年時代
十五歳で学問に志す
母を失う前後の青年時代
出国と帰国

 

Ⅱ 孔子の思想について

なぜ孔子を学ぶのか
個人生活への発言
家庭の倫理
国家社会の倫理
孔子をとりまく弟子群像――孔門の四科十哲について――
孔子の思想を伝える書物

 

Ⅲ 近代以降の試練に耐える孔子の思想

中国と西洋との接触
典礼問題おこる
フランス近代思想は、どう受け入れたか
現代哲学からの評価
現代中国における孔子の評価

 

年譜
参考文献
さくいん

 

孔子_本文

 

Ⅰ 孔子の横顔について

孔子をみる人の目

孔子とは

この夏は、昨今で最も本格的な夏だと、テレビで報じていた。相手が孔子だということで、ともかく猛暑の中を新装成った横浜中華学院(中華民国系)を訪れてみた。孔子の研究者で鳴っている校長の張樞先生、教務主任の林継堯先生、中国語の達者な小原武三郎先生にお会いしてみた。

 

もともと孔子がどういう性格の聖人であるかなどということについては、古来、東洋・西洋の学者もいろいろと賛辞を呈してはいるけれども、理解しにくいのである。きわめて簡単明瞭に孔子の人となりについて論評したものも、いたって少ないのである。といって、複雑な論評ではとても孔子のプロフィルはとらえにくく、また逆に短編であっては、ともかく断片的すぎていて、ともども困惑するのである。張校長は「日本には、孔子さまが、いろいろな形ではいってきていますね。もちろん、それぞれの時代で、孔子さまをみる人の目はちがうし、また、孔子さまの言行や記録などの関係もいろいろありますが、それよりも、何といっても漢代でどう評価されたか、これをみてみたらどうでしょうか」という趣旨のことを、きわめて流麗な日本語と中国語でチャンポンに話しておられた。

 

たとえば孔子の人となりということでは、『論語』の憲問篇に、つぎのようなことが述べられているのである。「孔子の門人の子路が、孔子の用事で本国の魯の国に帰るときのことである、石門(魯の町の外門)というところにきたとき日没で門が閉じていた。そこで門外に一宿し、翌朝、石門の開くのを待ちうけて通ったところ、晨門(門番)が時刻のあまりにも早いのを怪しんで、あなたは、どこからきましたかと聞いた。子路は、孔子のところからきましたが、と言ったら、門番は、『ああ、あの孔子か。あの時勢のだめなことを知りながら、社会、人道のため、奔走、努力してやまないお方か』と言った。」とある。これは、孔子が、道をもって自ら任ずることに厚いものがあるという真意を理解しないで、門番は、孔子の高踏隠遁的な態度を見て、嘲ったということである。それはそれとしても、この門番の言は、孔子一生の真面目さを評し得た言葉として、注意しておかねばならないようである。以上は他の人が、孔子をどう評価していたのかの、一つの見方である。時勢の不可なることを知りながらも、やむにやまれぬ赤心(誠意)熱情から、東奔西走、列国に周遊して、道を伝え、教えを説いたことでは、『かくすればかくなるものとは知りながらやむにやまれぬ大和魂』の辞世の句を残した吉田松陰に何となく似てくる。似て非かもしれないが、忘れてはならない孔子の一面に通ずる何物かがありそうである。

 

つぎに、同じ『論語』の述而篇につぎのようなことが述べられている。楚の国の葉公(葉県の長官)が子路に孔子のことをたずねたが、子路が答えなかったというので、孔子が言った。「お前は、その人となりは、(学問に)発憤して食事も忘れ、(道を)楽しんでは心配事も忘れ、やがては老いてくることも気づかずにいる、というようになぜ言わなかったか」と。これは、孔子の自己紹介的な自評とされている。

 

この二つが重なり合って、孔子という人の人柄がよく写し出されてくるものと思われる。その他に、もし『論語』を持っておられたら、たとえば為政篇の第四章、公冶長篇の第二十七章を併読してもよい。また、あの有名な皮肉屋で、一代の碩学(大家)胡適の嘗試(しょうし)集(当時の中国の新文学である「白話詩集」)で、『孔丘』と題して、孔子の人となりとして、前に引用した二語の、その真意を理解すれば、「もう論語の一部は、すべて不要です。」とまで言っているのである。

 

なお、孔子の言行を読解、曲説して、孔子の徳行に欠点を指摘することも行われている。あるいは、中華人民共和国では、孔子を、どのように評価しているのか。問題のはらむところは大きいのである。この前段の部分は、しばらく省き、後段の部分については、別に章節を立てて、言及することとして、やはり、この場面では思い切って、そこに譲ることとする。

 

中国思想の流れ

そもそも中国思想は、宗教面を別として、二つの大きな潮流によって区切られよう。その一つは孔子、二つには老子を中心とした思想、精神であろう。ただ、時代と環境とによって、いくらか表現を異にした説もあるけれども、その多くは、いずれも、この二つの思想に帰着されよう。たとえば、孔子の敬天や孝道の精神は、もともと中国古代の国民性によるものである。天を畏れ、敬う気持ちは中国特有のものではないが、古代の日本やトルコなどでも、太陽崇拝の烈しいのに対して、特に天を崇拝するとしたところは、ほかに似た例があるにしても、中国における古代思想の一つの特色としてもよいのである。事実中国には天に関する言葉が多い。たとえば上天、旻天、皇天、蒼天などそれぞれ異なった気持ちを表わしている。天は宇宙の主宰者、創造者であり、天の至公、至正な態度、形容や現象に暗示を得て、その道徳観念が発想されてきている。道徳の理想、道義の規範はすべて天において示され、万般に対するおごそかな審判は、天意天命の現れだという考え方が人々を支配していた。孔子が天を畏れ、天を敬った『敬天』は、そのようなところから由来しているが、ここにも西郷隆盛のいう「敬天」に通ずるものを感ずるのである。こうなってくると、たとえばイギリスのホッブズの思想に酷似して、アリストクラシイの香気が強いものに荀子がある。これらを、比較対照しても、あるときは、単なる比較対照に終わることもあるが、問題は、どちらが早かったかというようなことに価値があるのではなく、その徹底性において、また、その包括性においてどうであるか、という視点にしぼられてくる。こう考えてくると、西洋だけでなく東洋の先哲、思想家をも、しっかりと再びかみしめてみる必要もあろう。

 

 

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