「人と思想」シリーズ

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人と思想14『ルソー』のまえがき+αを読んでみる

 

はじめに

 

ルソーは、今日にもっとも影響をおよぼした一八世紀の思想家の一人である。その影響はきわめて広い範囲にわたり、哲学・教育・文学・政治・宗教等の諸問題におよんでいる。人間の自由と平等をとなえ、民主主義を表明したルソーは、「近代の父」と呼ばれるのにふさわしい思想家であるが、今日においてなお、かれが問題としたものはわれわれの問題でもある。ここにルソーの新鮮さがあり、われわれを引きつけるものがある。

 

ルソーを理解しようとするとき、その人や生活を知ることも一つの重要な手段である。とりわけルソーの思想は、ルソーの全体そのものであろう。しかし、ルソーが問題としたものをみるとき、やはり、その時代や、先人および同時代の人々の影響も無視することはできない。ルソーの思想は、その特異な才能と性格におおいに依存しているとしても、けっしてそれからのみ生まれたのではない。このような意味と、また、この小著が含まれるシリーズ・「人と思想」の趣意に従って、本書においては、ルソーの一端でも知ってもらうために、最初の部分でその時代の概観を、次いでその生涯をみ、さらにルソーの思想をおもに「エミール」、「学問芸術論」、「人間不平等起源論」、「社会契約論」等によって、その教育思想と政治思想を中心として述べた。勿論、これによってルソーの思想のすべてを述べたことにはならないが、その概要は知ることができよう。さらに興味ある読者は、すすんで、ルソーの著作そのものを読むようにされたい。ルソーは、おおくのことを直接われわれに語ってくれるだろう。

 

なお、本書の出版にあたって、写真を提供してくださったスイス大使館、また、その労をとっていただいたクネヒト氏、ならびに清水書院の方々に大変お世話になった。ここに厚く感謝の意を表する次第である。

 

中 里 良 二

 

目次

Ⅰ ルソーの生涯

ルソーの時代
ルソーの時代の思想状況
ルソーの人とその影響
ルソーの生涯

放浪時代
自我形成の時代
パリの時代
著作の時代
逃走の時代
ルソーの晩年

 

Ⅱ ルソーの思想

ルソーの求めたもの
文明批判
人間の間の不平等はいかにして生まれるか
ルソーの教育思想

自然人の形成
消極教育

子ども尊重の教育

五歳以下の子どもの教育について

家庭教育
しつけの方針

五歳から十二歳までの教育

感覚教育

十二歳から十五歳までの教育

理性の教育の時代

十五歳以後の教育

感情教育

女子の教育

女性について

理想の社会―社会契約論―

社会契約

一般意志と主権
主権について
理想の国家

 

年譜
参考文献
さくいん

 

 

Ⅰ ルソーの生涯

 

ルソーの時代

 

絶対王朝の成立

ルソーが生まれたのは一七一二年であり、それはほぼ、ルイ一四世の没年と時を同じくしている。周知のように、フランスではユグノー戦争の後、アンリー四世、その大臣のリシュリューやマザランが出て王権が強められたわけであるが、ルイ一四世はそれをひきついで絶対王朝を完成した。これによって封建領主の勢力は衰え、フランスにおける中央集権は確立されるにいたった。「朕は国家である。」とルイ一四世が本当にいったかどうかには問題があるが、かれはその強力な権力で、きわめて独裁的な政治を行なった。しかし、こうした政権は完全に封建制度を脱却したものではなく、本質的には中世的な宗教的権威にささえられていた。

 

ところで、ルイ一四世の権力の基礎となったものは、その強力な軍事力と官僚制度と経済力であった。自らの軍事力を持つことは、絶対君主の権力を強めるためには必須の条件であったが、ルイ王朝においては陸軍大臣のルーヴォアがでて、陸軍をまったく近代的なものにしあげているし、火薬の発明以来、変化した戦術に即応する兵器の製造技術もこの時代に発達した。また、封建勢力を弱め、その政治を国の末端まで行きわたらせるためには、官僚制度を整えることもたいせつであった。それまでは、地方の政治は諸侯が行なっていたが、ルイ一四世の時代では、代官や補助官がおかれて中央の政治を地方まで徹底させた。それによって諸侯や僧侶の勢力は衰えていった。

 

このように、軍隊や官僚は王の絶対的な権力の維持には不可欠のものであったが、そのためには大きな経済力が必要であった。そこで税制が整えられ、また、新興の商人やマニュファクチュアの人々との結びつきが強まれていった。したがって、重商主義の出現は当然のことであるといえよう。

 

コルベルティスム

フランスでは、コルベールがルイ一四世のもとで重商主義を完成させている。フランソワ一世以来、フランスでは国家財政上の困難はいちじるしいものがあった。国家は、官職を売ったり、王室領を売ったり、また、資本家から借金をしてそれを切りぬける手段を講じていたが、コルベールはそれらをやめ、むしろ、あらゆる種類の工業および商業を盛んにすることによって、国家の財政を豊かにすることをはかった。フランスでは、アンリ四世のころから工業が起こったが、コルベールは国家の保護を与えることによってそれを育成した。それはおもに武器製造、冶金(やきん)および織物などであったが、外国からの技術を導入したり、外国からの輸入品には重税をかけるなどして、それをますます発達させた。その結果、オランダ・スペインなどへの輸出も多く行なわれた。

 

絶対王朝の衰微

以上のような、ルイ一四世の治世のもとでは、また、はなやかな宮廷生活もくりひろげられた。そして、一六六一年のマザランの死後、ルイ一四世が直接外交を指導するようになってからは、戦争が起こった。ルイ一四世がその子アンヂュ侯をスペインの王位の継承者としようとして起こったスペイン王位継承戦争は、その代表的なものであった。一四年間も続いたこの戦争の失敗は、フランスに財政上の困難をもたらすにいたった。こうしてフランス絶対王朝の衰微が始まる。

 

太陽王と呼ばれ、ヨーロッパの中心的存在であったルイ一四世が一七一五年に没し、その後をついだのはまだ幼少のルイ一五世であった。ルイ一四世は莫大な借金を残して没したため、ルイ一五世の時代でもっとも緊急な問題は財政の建て直しであった。これを努力したのはジョン=ロー(一六七一―一七二九)であった。かれはスコットランド人であったが、銀行については非常に精通していた。かれは一七一六年に私設の銀行を起こし、紙幣を発行し、それを流通させることによって財政を救おうとした。かれのやりかたは、銀行の方法を国家の財政の領域に適用することにあった。すなわち、かれは、国家は銀行員でなければならないとし、国家は個人の金を受け取り、そして、それになんらかの収益を生じさせねばならないと考えたのである。

 

そこで、かれは一覧払いの銀行券を発行した。それは、通商や投機の増大にしたがってふえていった。その利益から国家は債権者に払おうとしたのである。しかし、銀行による莫大な紙幣の発行は、かえってインフレをひき起こす結果となった。また、ローは国家財政を救うために「西方会社」を設立し、アメリカ植民地における独占的商業を行なったが、それは一般の人の投機熱をそそった。しかし、実際の利益はなく、有価証券の暴落を招き、また、紙幣の価値もそれにつられて失われた。こうした一連のローの政策は失敗に終わり、財政はますます悪化したが、ローの唯一の功績は、金融制度の発達をもたらしたということにある。ローの後には、フルウソー・ショワズール・トゥレーなどがでて、それぞれ財政の再建に力をつくした。しかし、第一次七年戦争・第二次七年戦争などによって、ますます財政は困難になってゆくばかりであった。こうした状態をそのままルイ一六世はついだわけであるが、かれは特権階級に対する課税などを試み、それによって財政の建て直しをはかったが、成功せず、フランス王朝はこれによって崩壊した。

 

資本主義の芽ばえ

フランス絶対王朝においては、貴族の勢力はきわめて弱くなった。この時代の貴族は、その特権として税金の免除、軍務の免除、課税権やさらには裁判上の権利などをもっており、その勢力は三部会や地方議会において僧侶についでいた。しかし、その政治的権力は、この時代にほとんど失われた。これに対して、僧侶は財政的にも強く、また、それ自体の裁判組織をもつなど、その勢力はきわめて強かった。

 

このような情勢の中に、ブルジョアジー・農民・職人・労働者などからなる第三階級があった。この中でブルジョアジーは、すでに経済的な力が強く、政治的権力こそないが、その一部は貴族に成り上がるものもいた。王室はもちろん、当時、きわめてはでな生活をしていた宮廷の貴族も、このブルジョアジーから金を借りるものが多かった。しかし、下層のブルジョアジーは上層のブルジョアジーが金融貴族であるのに対して、ほとんど一般人民と変わりがなかった。

 

ところで、すでにみたようにブルジョアジーの成長は、ローの政策に起因するところが大であるが、産業の発展、交易の増大は、フランスの経済組織を根底から変えようとしていた。すなわち、それまでの土地所有の上に成りたっていた自然経済から貨幣経済への移行がそれである。当時の農民は、小作人と折半小作人とに分けられるが、それの所有する土地はきわめてわずかであり、生活はいちじるしく窮迫し、土地を手ばなすものが多かった。そして、かれらは多く手工業に従事することを余儀なくされた。また、ここには工業の機械化の芽ばえと資本の蓄積がみられ、資本主義が生まれつつあった。こうして、微力な親方や職人もブルジョアジーの強力な経済力のもとでは、もはやその経済的独立を保つことはできなくなってゆき、ついに商人になれなかったものは、単なる労働者に没落していった。

 

こうした第三階級が貴族や僧侶と比べて、とくに税金においてなんら保護を受けず、まったく不平等にあつかわれていたということは、とくに記さねばならないことである。すなわち、貴族などの特権の裏には、重税にあえぐ第三階級の大部分をなす農民の苦しみがあったのである。当時、戦争により、財政的困難はいちじるしかったが、それにもかかわらず、国王は乱費を続けていた。また、官吏の腐敗も財政の困難に輪をかけていたが、貴族・僧侶はタイユやカピタションをまぬがれていた。それを負担したのは、多くの農民であった。農民は、当時、約二、二〇〇万人ほどであり、フランス全人口の九〇パーセントを占めていたから、特権階級がまぬがれていた税金を、農民が大部分を負担していたことになる。また、そのほかに、デイームという租税があって、農民は、その収穫の一〇分の一を教会に納めねばならなかった。こうした惨状にあった多くの人々の不満と反抗は、やがてフランス革命において爆発するもとになった感情をかもしだすことになった。

 

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新装版 人と思想14 『ルソー』

中里 良二 著

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